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GPZ400Rの操縦安定性について考える

以前にも少し書きましたがこのGPZ400Rというバイク、私にとって乗るのがとっても楽しいヤツで、休日にはちょくちょく引っ張り出しては遊んでいるのですが、現代車とは少し違うこの楽しさはいったいどこから来るのだろう? と、いつも考えてしまいます。

昔、レーサーレプリカ車を買って乗っていたこともあるのですが、公道でサーキットのような走りは出来ず、そのうち不完全燃焼でモヤモヤしてきて、だからといって完全燃焼しては命と免許が危ない、とあっては「バイクを存分に楽しむにはサーキットに行くしかない」という考えに完全に傾いていきました。それが今ではGPZに乗って「公道楽しい!」になっている訳です。

GPZは昔のバイクなので、タイヤサイズもその当時なりの物です。車体各部のつくりもいかにも細く、今の人には驚かれる、というか笑われるくらいなのですが、これもこのタイヤサイズに見合う様につくられたものなので、これで不足かというとそんなことは無いです。この剛性低めの車体が公道の低いスピードでも絶妙にしなって具合がいい、とは十分想像できますが、そういう難しいことは置いといて、確かなのはこのパッケージでは今のタイヤとそれに見合った車体の新しいバイクよりコーナリングの限界性能が低い、という事です。

それが逆に公道での楽しさにつながっているのでは? とまず考えました。限界値がそこそこなので、公道レベルの走りでもその限界値にある程度近づける、だから満足した気分になれる、というわけです。(決して限界の「スリル」が味わえて楽しい、という意味ではないです。私はそこまでは飛ばせません。)まあ、限界が低いと言っても世間一般から見れば暴走と言えるほどのコーナリングスピードは出せてしまうわけだし、性能的にはこれで十分なのです。他人と競わなければ。

コーナリング限界性能が高いバイクとは、公道では車体の性能が破綻するポイントが常用域よりはるかに高い所にある、という事で、だからこれは「安全なバイクである」とは言えます。メーカーの立場からしたらこれは圧倒的に正義で、これを昔のレベルに戻そう、というのはあり得ない話でしょう。しかし人間は「高いポテンシャルの、ほんの序の口しか使えていない」ということを敏感に感じ取ってしまうようで、それが不完全燃焼感になるのでは、というのが私の仮説です(大げさ)。メーカーはそれでも面白いバイクにしようと頑張っているのでしょうが・・・。

細かくGPZ400Rの乗り味をみてみましょう。このバイクはクイックさが売りの16インチタイヤだけあって敏捷性(アジリティ)が高いです。今のラジアルよりタイヤが細いのも、グリップ値と引き換えに敏捷性の高さに寄与しているはずです。一方旋回性そのものは、実際の数値(1,430mm)通りロングホイールベース感があってそれほどでもない感じです。これは近代ロードレーサーがどちらかというと旋回性は追及しながらも、安定性(スタビリティ=アジリティの反対語)はたっぷりと持たせるという方向性なのとはある意味真逆ではあります。

レーサーは限界域でコーナリングするので、敏捷性が高い神経質な車体をそおーっと操作するより、ちょっとやそっとじゃ踏み越えてしまわない高い安定性の車体をライダーがダイナミックに操る、という方向性のほうが良いからこうなるのですが、公道では単純にバイクがキビキビ動くのが楽しいし、その方が速く走れる時が多いです(サーキットには無いような低速コーナーが多いから)。旋回性がそれほどでもないのも、全体的に神経質すぎる感じにならなくてこれはこれで悪くないんじゃないでしょうか。レーサーがそうであるように、少なくともどれかの要素で安定した、鷹揚な部分を持たせないとバイクの操安は成り立たない、というのもこれまた私の仮説です。このバイクは自分でバンクさせて曲げていくのが操ってる感が濃厚でまた楽しいのです。

「優れたレーサーは公道で乗っても楽しい」とは真理なのでしょうが、公道に特化するならそれとは違うコンセプトで楽しいバイクが成立させられる、というのもまた真理でしょう。GPZとは全くベクトルが違いますがビューエルXBシリーズなどその好例ではないでしょうか。